title.jpg
国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.269
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和3年8月26日

        微妙な人間関係を読む技術

 アフガン情勢の緊迫化をよそに、極めてドメスティックな横浜市長選の惨敗で、菅義偉首相の命運がほぼ尽きたという見方を分析してみよう。

 この現実の核心は、現職の国務大臣・国家公安委員長の小此木八郎氏が、その職と衆院議員の身分をなげうって、横浜市長選挙に出馬したのはなぜかということにある。

 大方のメディアが分かっていても書けなかったのは、それが菅首相に対する「反旗」であり、決別宣言だったという事実である。

 その時点で、いわゆる統合型リゾート(IR)、すなわちカジノを誘致することは、コロナ禍の影響もあり、ほぼ無理という情勢になっていた。
 すなわち小此木氏は、誘致推進派の菅総理に対して、わざわざ誘致反対を唱えて出馬する必然性はなかったと思われる。

 当選するためには誘致反対を唱える必要性があったが、小此木氏の本心は「菅氏からの独立」だったのではないかと推察されるのである。

 よく知られているように、菅氏の政治家人生の第1歩は、小此木彦三郎衆院議員(横浜を含む神奈川1区)の秘書に採用されたことに始まる。

 その秘書団では、菅氏は末端の使い走りであり、後に父親の後を継ぐ八郎氏はまだ小学生だった。
 父親の死去で選挙地盤を受け継ぎ、1993年に初当選したとき、秘書団の先輩である菅氏はまだ横浜市議にすぎなかった。

 菅氏の衆院初当選は96年なので、この時は八郎氏の方が先輩として支援している。

 それが今はどうだろうか。菅氏は思いがけなく総理大臣となり、八郎議員を国務大臣・国家公安委員長に据えた。

 菅総理としては、師匠の彦三郎氏(建設相、通産相などを歴任)に十分報いるという意図があったに違いない。
 しかし、八郎議員が果たして軽量の大臣ポストで満足していたかどうか。

 それが問題だ。安倍内閣でも、同じポストをすでに経験しているのである。

 菅政権が何年も続き内閣改造で必ず重量級の大臣ポストに就ける、という見通しは全く立たない。
 そこに横浜市長選挙が迫ってきた。出馬すれば当選はほぼ確実だ。市長になれば菅氏の直接の部下ではなくなる。この手しかない。
 八郎氏はそう計算したのだろう。

 実は、似たような分析ができるケースがアメリカから飛び込んできた。

 それは、バイデン大統領が公式に、ラーム・エマニュエル前シカゴ市長を駐日大使に指名したことである。

 面白いことに、オバマ政権発足時にはバイデン副大統領、エマニュエル大統領首席補佐官という陣容だったが、歴代、副大統領は名目上のナンバー2で自前の権限はない。
 実質のナンバー2は、首相と官房長官を兼ねたような首席補佐官で、強大な権限を握っていた。

 今年、大統領となったバイデンは、かつて副大統領の自分をアゴで使っていたエマニュエルを閣僚にしようとしたが、反対意見が多くて駐日大使に変更したと言われている。

 エマニュエルは個性が強すぎて民主党内でも敵が多く、シカゴ市長も2期で終わっている。駐日大使ポストはシカゴ市長よりも格が上であることはたしかだが、それを恩義と受け取るようなタマでないことは明らかだ。

 つまり、バイデン大統領に忠誠を誓うかどうか、まして直属上司となるブリンケン国務長官の指示に素直に従うがどうか、日本政府としても決して無関心ではいられない。
 年齢も61歳と若く、駐日大使を足がかりに、さらに高いポストを狙う可能性は否定できない。

 さらに付け加えると、そういう人間関係のフォローと分析は、日本以外の主要国では情報機関の任務であることは常識だ。
 日本には、情報機関自体が、ない!
(おおいそ・まさよし 2021/08/26)


コラム一覧に戻る