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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.277
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和4年4月27日

        ロシアの戦争作法を知る常識

 2月24日、ロシアによるウクライナ侵略が始まってから、日本独特のワイドショー番組で、著名なコメンテーターの何人かが「人命が大事なので降伏も考えるべき」と発言して話題になった。

 おそらく大多数の国際政治専門家は、これら識者のあまりの無知にビックリ仰天したことだろう。

 ロシアは、歴史的に、降伏した相手を殺しまくるのが伝統なのである。

 その典型として伝えられるのが、「カティンの森の虐殺」である。これはポーランドが舞台で、同国の有名な映画監督アンジェイ・ワイダが映画化したので、専門家ならずとも知っている人は多いはずだ。

 第2次世界大戦は1939年9月1日、ナチスドイツが西からポーランドに侵攻して始まり、同月17日にはソ連軍が東から侵攻して、ポーランドという国は地球上から消し去られてしまった。

 翌年の春、ソ連は占領下のポーランド軍の将校や警官など約2万2千人を、ソ連内の「カティンの森」など5ヵ所に集め、巨大な穴を掘らせた上で、全員を射殺してその穴に埋めたとされる。

 その後、独ソの不可侵条約を破ってドイツ軍がソ連に侵攻し、43年にカティンの森の現場を発掘し、4千を超える遺体を発見した。

 ソ連はその事実を公表されても決して認めず、逆にナチスドイツの犯行だと反論し続けた。

 第2次大戦の結果、ソ連は戦勝国、ドイツは敗戦国になったため、ソ連の強弁は続けられ、事件から半世紀を経た90年4月、ようやくゴルバチョフ書記長が自国の犯行だったと認め、ポーランドに公式謝罪した。ソ連邦が自己解体する前年のことだった。

 この経緯を知らない人でも、日本人だったら45年8月15日の終戦直後に、ソ連が満州方面で降伏した日本の将兵60万人をソ連領に拉致し、強制労働で6万人以上を死なせた事実を知っているはずだ。

 降伏した軍人や民間人を丁重に扱うという文化は、ロシアの歴史には見られない。むしろ、生かしておいたらいずれ復讐されるという恐れの方が正当とされる。

 もうひとつ、日本人の盲点のような事実を挙げておこう。

 現在では当たり前になっている「国の軍隊」、すなわち国軍(中国だけは共産党軍)の創始者は、ナポレオン1世(18世紀末)である。

 それまでは、軍隊というものは個々の貴族が抱える私兵であった。日本でも武士は藩主に仕える存在だった。

 ところがナポレオン・ボナパルトは貴族ではなかったので、私兵の代わりに職にあぶれた若者を募集して「国民軍」とせざるを得なかった。
 しかし、十分な給料を支払うほどの財力がなかったので、戦争で占領した敵地で略奪自由として、戦費を賄ったのである。

 勝てばいくらでも略奪して自分のものにできる。略奪には婦女子も含まれる。勝てば何でも手に入る。

 ナポレオン軍が強かった秘密はこれだ、という指摘があるくらいだ。

 もう気がついたであろう。ウクライナに侵攻したロシア兵が、全く同じように、民家や商店に押し入って略奪やレイプに及ぶ例が多数報告されている。

 戦死したロシア兵が、持っているはずのない金品や装飾品を隠し持っていたとか、ウクライナ北部からベラルーシに撤退したロシア兵が、家電品などを宅配便で故郷に送ろうとしている映像などが流されている。

 現在進行中のウクライナ侵略で、ロシアは21世紀なのに20世紀型の戦争をやっていると揶揄されるが、何のことはない、現場の兵士は18世紀型の戦争を、そうとは知らずに実行しているのである。

 日本も昭和20年8月15日に終戦を宣言したのに、それからソ連は米国に北海道の北半分を要求し、拒否されると間髪を入れず南千島4島と南樺太の日本領土を占領した。
 そのときのソ連兵の容赦ない乱暴狼藉も、現在のロシア兵の戦争作法も、歴史的に通底するロシア文化のゆえんである。

 ソ連は、世界の常識に反して、第2次大戦の始まりは、39年ではなく41年6月の独ソ戦開始と規定しており、その前のナチスとの協力を覆い隠している。

 さらに、大戦の終結は8月15日ではなく、ソ連軍が北方領土を占領した後の9月2日だと規定し、終戦後の不法占拠だという事実を覆い隠している。

 ユダヤ系のゼレンスキー大統領をネオナチ呼ばわりして戦争を発動するのは、かつてのソ連がナチスドイツと組んだ歴史を完全に塗り隠してしまいたいからかもしれない。

 もしウクライナが人命を優先して降伏した場合、国民の半数がシベリア送りとなり、かわりにロシア人が大量移住してくるだろう。
 ウクライナ軍は全員武装解除されて収容所送りとなり、強制労働で死に追いやられることになるだろう。

 それが分かっているから、徹底抗戦するしかない。日本のテレビ・コメンテーターの想像力をはるかに超える世界がそこにある。
(おおいそ・まさよし 2022/04/27)


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