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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.289
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和5年4月29日

      憲法記念日を前に英国型を再提案

 日本の自称「リベラル」勢力は「平和国家」「平和憲法」「専守防衛」といった四字熟語が大好きのようだ。しかし、これらの標語、用語はいずれも英語に訳すことができない。

 つまり、「意味」がないので、訳しようがないのだ。

 昨年12月に日本政府はようやく「平和憲法」の呪縛から逃れる一歩を踏み出したが、「専守防衛」の旗印はまだ降ろしていない。

 これは言うまでもなく、日本国憲法をどうにかしないと、どうにもならないという堂々巡りになっているからである。

 当コラムではこの問題を20年前に取りあげているので、部分的に再掲載し、具体的な提案がありうるのだということを示したい。

(以下、2003年12月コラムより)
 
 公明党は加憲という別名を掲げた護憲勢力だ。ほかに論憲、創憲というのも護憲の別名である。では、改憲の側には別の名称がないのか?

 廃憲、無効論、というのが、あるにはある。法理論的にはいちばんすっきりしているが、実際にはどうだろうか。
 無効論は石原都知事などが公然と唱えているもので、他国の軍事占領下において必要最低限の法令強制は致し方ないが、憲法のような基本法規を定めるのは国際法上も無効だとする。(注・いわゆるハーグ陸戦法規第43条を指す)

 したがって当然に、占領が終了すると同時に無効になったと解釈すべきだという。手続きとしては、現在でも国会で決議すれば、それで無効にできるというものだ。

 筋道としてはこれがもっとも正しいといわざるを得ない。しかし、そう簡単にはいかない。難点が多いのだ。
 この憲法はもう半世紀以上も定着してしまっていること、日米安保体制と事実上一体化している事実、さらには、憲法廃止決議が対外的には「クーデターの一種」と受け取られる恐れがあること、などが挙げられる。

 もう一つおまけに、現行憲法を廃止すると、旧憲法が自動的に復活してしまうという問題がある。
 新憲法は大日本帝国憲法の第73条に従って改正したと、いちばん前に天皇のお言葉として書かれている。
 ちなみにこの73条では「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」となっていて、そっくり全文を改正することを想定していない。従って、新憲法への全面改正は違憲であったとも言える。
 
 そういう筋論からすると、日本国憲法は初めから無効だったことになる。

 現行憲法にはこれほどの「素性の悪さ」がある。だから改正という場合には全面的書き直しが必要だ。しかし、それはほとんど不可能である。

 頭の体操になるが、もし「この法律は改正してはならない」という条項を持つ法律が成立したとする。後にその法律が世の中に合わなくなった場合、この条項自体の合法性が問題となることは確実だ。

 改正できない法律などあり得ない、というか、廃止すればすむことだから、そんな条項に縛られることはないはずだ。

 同じことが憲法にも言えるのに、なぜそのように世論が成熟しないのだろうか。
 政治学者の中には、その壁を乗り越えようとする者もいる。たとえば佐々木毅・東大学長は、改正がほとんど不可能であることが不合理だと考え、まずこの条項を緩和する改正だけを実現したらどうか、というアイデアを出している。

 また、第9条が最大の争点であることに注目し、9条の第2項のみを削除するだけの改正を考えたらどうか、という提案も出されている。
(注・第9条はまず「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とある)

 2項に書かれているのは、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という念入りな禁止規定である。
 
 この規程を削除すれば、9条の精神を残したままで、自衛権をめぐるほとんどの矛盾は解消できるというわけだ。
 確かにそうだが、そうであるだけに反対派は決して受け入れないだろう。

 護憲派の狙いはあくまで「9条の死守」にあるからだ。2項の削除は、いわば大阪城の外堀を埋められるような策略と映るだろう。

 このように考えてくると、憲法の改正がいかに不可能に近いかが分かってくる。そこで、いっそ憲法をなくしてしまったらどうかという考えに立ち至るのも無理からぬところだ。

 現に英国は成文憲法を持たない。といっても憲法がないわけではない。慣習法、判例法の原理原則があれば、成文憲法がなくても別段、不都合はないという実例を示している。

 これを「廃憲論」とすれば、「無効決議論」の発展型と考えることができる。現行憲法の廃止だけでなく、同時に帝国憲法に戻るのを避けて、「成文憲法を廃止する」という決議を国会で行えばいい。
 新憲法を制定するまで「当分の間」に限るとしてもよい。そのほうが国民の支持が多くなるだろう。

 これを可能にするためには、最高裁に憲法裁判所を新設し、憲法判断を下す機能を格段に強化することが必要だ。
 もちろん、合憲違憲の基準は過去のあらゆる判例と、公序良俗、外国との条約・国際法、等々を総合的に検討して判断することになる。
(再掲終わり)

 さて上記のコラムから20年の間に、日本国憲法と現実の世界の乖離はますます大きくなるばかりだ。

 日本を取り巻く3つの核武装国は公然と民主主義陣営に敵対し、ロシアのように旧ソ連圏のウクライナに武力侵攻し、中国も台湾や東南アジアに対する領土野心を隠そうともしなくなっている。

 それだけでなく、家族のあり方、夫婦同姓か別姓か、あるいは性的少数派の権利など、憲法制定時には想定し得なかった問題が生じている。

 また、「結婚は両性の合意のみに基いて成立」(第24条)というような文言にとらわれて、秋篠宮がご自身のみならず娘(内親王)にも同じ基準を許した結果、現在も、将来も、国民の間に不協和音が残ることを忘れてはならない。

 同じように、「義務教育」(これも翻訳不能)だけを無償として特記し(第26条)、教育行政全体と科学技術政策を混乱させていることや、歴史的に門前町として発展した地方都市が、中心である寺社仏閣の修理に公金を出せないという馬鹿馬鹿しさが、是正されないままである。

 さらには、防衛装備品の輸出が厳しく制限されているため、防衛産業の衰退が進み、生産能力でも技術でも韓国にさえ追い抜かれる状態になった。国と三菱重工が将来を賭けた国産旅客機の開発の断念が、その衰退の象徴である。

 フツー程度の旅客機を造れない国が最新鋭戦闘機を国産できるわけがない。

 現段階で上記のコラムに付け加えることがあるとすれば、英国型の不文憲法に大転換するにあたっては、次の2つの条項を国会の付帯決議などに入れたらいいと考える。

 すなわち、「憲法裁判所の審議には、過去の成文憲法(大日本帝国憲法と日本国憲法)の精神を考慮すること」と、「皇室内部に関する重要事項は皇室全体の意思を尊重すること」の2つである。

 この付帯決議があれば、保守派とリベラル派の双方が満足して、譲歩し合う余地が生まれるのではないかという工夫である。

 この20年間を振り返ると、日本が普通の国になるためには、もうこの決断しかないのではないかと、改めて確認せざるを得ないのである。
(おおいそ・まさよし 2023/04/29)


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