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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.250
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和2年1月30日

        日本をまた収奪したいのか韓国

 1月26日付けの産経新聞「日曜経済講座」に、独自の分析で知られる田村秀男記者が非常に有益な記事を載せているので、引用しながら更に敷衍してみたい。

 記事は、英国の植民地だったインドと日本統治下の台湾・韓国の、戦前の実質経済成長率を取り出してグラフ化してある。
 元になった統計は恣意的なものではなく、オランダの「グロニンゲン大学成長開発センター」と、韓国ソウルの「落星台経済研究所」の経済史データである。

 面白いのはインドで、経済成長はほぼ1%程度の横這いのまま植民地時代を終えている。その理由は英国による過酷な「苛斂誅求」だった。

 英国はインドを守るという名目で軍事費の大半をインド政府に負担させ、国家公務員を一度はインドに(つまり短期)赴任させることで、公務員の年金の大半をインドに負担させたという。

 なるほどそういう手があったかと、思わず膝を打つほどの悪知恵である。

 ミステリー・ファンなら、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物や、アガサ・クリスティの「名探偵ポワロ」などに、頻繁に「インド帰り」だという人物が登場することを知っているはずだ。

 その理由がこれだったのか、と深く納得できるだろう。

 話はそれるが、英国がとうとう欧州連合(EU)から離脱することに決し、女王の裁可を得たが、その主な理由のひとつは、巨額な「メンバー・フィー」(加盟費負担)への不満だというから笑ってしまう。皮肉すぎるというほかない。

 英国民は、かつてはインドを収奪した栄光の記憶があるのに、いまは大陸に収奪されているという恥辱に耐えられなくなったということではないだろうか。

 実は、田村記者の言いたいことはインドの悲劇ではなく、日本統治下の台湾と韓国が、日本(内地)とほぼ同じペースで経済成長を遂げていたという事実である。

 日本の統治がインフラ整備と農地の拡大、教育の普及など、内地と同じ水準を目指していたということは、現在の日本ではよく知られている。
 帝国大学も、内地を後回しにして、台北と京城(ソウル)に創設された。

 田村記者は、特に日本統治の前の朝鮮が、李王朝のもとで百年以上にわたってマイナス成長を続けていたと推察している。

 その理由も、他国に支配搾取されていたインドとは対照的に、自国の支配層が多数の民衆を収奪していたからである。
 すなわち、「盗む側と盗まれる側」で、「盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる」(英国の旅行家イザベラ・ハート)。

 昨年7月の当コラムで指摘した「両班」(ヤンバン)のことである。

 今で言う「最貧国」状態の朝鮮を日本が引き受け、世界が大恐慌の1930年代に実質5%台の成長を続け、台湾も同じぐらいの成長を記録している。

 もちろん、こうした事実を韓国民は全く教えられていないし、メディアは全く報道しない。日本時代は「あってはならない」ことだったので、事実を知ってはならないのである。

 2月以降、韓国は最高裁の判決に従って、差し押さえた日本企業の資産を実際に売却する段階に進むことになる。
 もしいやなら日本政府抜きで、日本企業や日本国民が韓国の新設財団に巨額の献金をする仕組みを作る、という本音が徐々に出てきた。

 これは、新しい日本収奪を始める第1歩と見ることができよう。いかにも現代の「両班」らしい悪知恵である。

 戦前の日本は莫大な投資を朝鮮半島に注ぎ込み、対米戦争に敗けた結果、残存する53億ドル相当(当時)という天文学的な資産のすべてを放棄して撤退した。
 その上、追い銭として65年の国交正常化の際、無償3億ドル、有償(低利)2億ドル、民間借款3億ドルを脅し取られた。
 
これは当時、韓国の国家予算の2.3倍にもなる巨額の「和解金」だった。

 すなわち、結果として収奪されたのは日本のほうだったのである。

こうした事実を韓国の若い世代に伝える手段は何かないものか、改めて日本の発信力の弱さに切歯扼腕せざるを得ない新年である。
(おおいそ・まさよし 2020/01/30)


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