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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.263
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和3年2月28日

        ボカされた本音、核心を見抜く

 4年前の2017年12月のコラムで、大相撲と北朝鮮報道の2つを例としてあげ、毎日何度も繰り返されるワイドショーなどで、専門家ですら故意に核心に触れるのを避け、堂々巡りの議論を続けていることを指摘した。

 その悪しき傾向は一向に改善されていない。続編のようになるが、余りにひどい事案を3つ挙げることにした。

 第1は、領土問題である。
 今月23日、米国防総省(通称ペンタゴン)のカービー報道官が会見で、中国海警局の船が尖閣諸島の領海侵入を繰り返していることについて問われ、「誤算や物理的な損害にもつながる恐れがある。中国は海警局の船を使った行動をやめよ」と直接要求し、さらに「日本の主権を支持する」と付け加えた(のち主権については従来通りと訂正)。

 これは異例の強さだが、なぜ日本は同じことを総理も外相も自分で言えないのか。
 
 日本は日常茶飯事のようになった中国公船の領海侵犯に対し、「毅然として対応している」と毎回繰り返すのみである。
 その「毅然」の内容は、外務省の担当官が駐日中国大使館の公使に電話をかけるだけと言うから、もう呆れるしかない。

 もちろん、政府には政府の理屈があって、「尖閣諸島は日本が実効支配していて他国との係争地域ではない」ということらしい。
 だから日本は相手にならないのが得策であって、相手になると中国の論理に引き込まれる恐れがあるので、「毅然として電話する」だけにとどめているというわけだ。

 では、韓国が占領したままの島根県竹島はどうなのか。
 日本政府は、「不法占拠をやめて島を返せ」と要求したことがあるのかどうか、誰の記憶にもないだろう。

 民主党政権時代に、岡田外相はなぜか「不法に占拠」という文言を使わないように、「気を遣って」いた。
 自民党政権は過去に3度、国際司法裁判所に提訴しようとしたが、相手の韓国が同意しないのでそのままになっている。

 それにしても、「歴史的にも国際法上も日本固有の領土」だと主張しながら、島根県主催の「竹島の日」(2月22日)の式典に、総理や担当大臣どころか副大臣の下の政務官しか出席しないというのは、気遣いのしすぎではないだろうか。
 日本メディアの反応も弱い。

 もう一つの北方領土については、ロシアが憲法を改正して、「領土を割譲してはならない」と規定し、「だからもう日本との交渉も不可能になった」と突き放してきた。
 
 つまり、日本の領土を実効支配している韓国とロシアの方も、毅然として日本を相手にしないという状態になった。

 なぜ日本のメディアも野党も反応が鈍いのだろうか。

 ひどい事案の第2は、相撲の世界の続きである。
 公益財団法人である日本相撲協会は、休場を繰り返している2人のモンゴル系横綱をどうすることもできないでいる。

 4年前にも指摘したが、白鵬がモンゴル勢を率いて実質的に協会を牛耳っているからだ。

 白鵬は昨年、日本国籍を取得したので、「一代年寄り」ではなく、部屋持ちの独立親方として協会に高い地位を要求することができる。
 すなわち、名実共に日本の大相撲の世界を支配することになるのは誰の目にも明らかだ。 

 つまり、現役を引退させると、却って日本の相撲文化の終焉が早まるというやっかいな状況になっているのである。

 ひどい事案の第3は、総務省幹部十数人が、許認可の相手である放送事業会社の東北新社から、頻繁に接待を受けていた件である。

 この汚職まがいの事件の核心は、菅(すが)現首相が総務大臣だった当時、まだ20代半ばの長男を単なる秘書でなく、「大臣秘書官」に採用したことである。

 これは、政治の世界では、この長男が自分の後継者だと世間に公認させたことになる。
 家族・親族を地元事務所の秘書にするのは当たり前だが、世間ではまだ新人に過ぎない若者を、課長級かそれ以上の大臣秘書官に「任命」するのは、ルール違反ということになるだろう。

 だからこそ、東北新社は菅大臣の将来の後継者を「一時お預かりさせていただく」形で入社させ、菅官房長官(当時)に貸しを作り、総務省にトコトン食い込もうとしたのであろう。

 政治家が自分の身内を後継者に育て、箔を付けさせようとするのはごく普通のことである。現にコロナで急死した立憲民主党の羽田雄一郎参院議員(元国交相)は、羽田孜・元首相の後継者であり、そのまた後継として実弟が4月の補選に立候補する。
 弟も父の秘書を経験し、先の総選挙に挑戦して落選している。立派な箔である。

 つまり、菅氏は実力政治家としてやり過ぎたのであり、同時に長男は父親の地位に配慮して普通よりも謙虚に動くべきだったのに、逆をやったのである。

 ちょうど、安倍首相の昭恵夫人が、夫の立場を配慮、斟酌しなさすぎて夫を苦境に追い込んだのとよく似た構図になっている。

 核心をわざと避けるように報道する風潮は、何ごとも言わず語らず、結論を曖昧にしたまま過去に葬るという「なあなあ文化」のあらわれかもしれない。

 しかし、それでは「報道の使命」は何かという大命題そのものを葬ってしまうのと同じである。日本のメディアが「第4の権力」たりえないことを、業界人はどの程度自覚しているだろうか。
(おおいそ・まさよし 2021/02/28)


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