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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.271
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和3年10月28日

        英国王室とあまりに相似

 前代未聞の公開駆け落ち婚、といわざるを得ない結末(かどうか)を見て、誰しも英国のヘンリー王子夫妻の例を思い出さずにはいられないだろう。

 なぜこんなによく似たことを、世界の2大君主国がまるで競争のように進行させているのか、歴史のいたずらとでも考えるしかない。

 実はほとんど報道されない原因があるのだと指摘したい。
 
 それは、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」(高貴者の義務)という価値観が、いつの間にか希薄になってきたことである。

 生まれながらに身分や地位の高い人々には、それなりに厳しい責任を負うという自覚が要求される。
 西欧の騎士や日本の武士に共通の価値観であり、下級武士と将軍職では自ずからその責任も自覚も同じではない。

 ヘンリー王子は、曾祖父の兄エドワード8世が、離婚経験者の米国女性と結婚するために王位を捨てた歴史を、よく知っているはずだ。
 「離婚した米国女性」は王室にとっていわば鬼門とさえ言えるのに、ヘンリー(発音はハリー)はその教訓に学ぶことなく、自分もわざわざ離婚経験者の米国女優メーガンと結婚した。

 母のダイアナ妃は貴族出身(伯爵令嬢)だったが、不祥事を繰り返した末にチャールズ皇太子と離婚し、王室から離れた後にボーイフレンドと事故死した。

 英国民は同情からメーガン妃を受け入れたが、メーガン自身が王室の束縛を嫌って、夫のヘンリー王子を引っ張って離脱し、夫婦でアメリカに移住して今日に至っている。

 日本の場合もよく似ていて、当事者の眞子内親王と小室圭氏を始めとして、関係者のすべてに「ノブレス・オブリージュ」の意識が感じられない。

 小室氏が、大学生の身で「将来、結婚しましょう」と申し込んだのが始まりだというが、これほど非常識で無責任な行動はないのに、内親王が「はい」と答えたので美談になってしまった。
 皇族「だからこそ」、自分1人で決められないという自覚がなかったのである。

 父親の秋篠宮も、結婚は「両性の合意のみ」によるという憲法の文言にとらわれ、自分たちが「ノブレス」だという自覚を示すことはなかった。

 国民一般は、初めは祝福ムード一杯だったが、小室氏の家族問題と留学の経緯が取り沙汰され、尻上がりに批判的になっていった。
 その間、この母子が皇室に対する尊崇・敬愛の気持ちを全く表すことがないことに、気がついたメディアはほとんどない。

 もう1つ気がついたことは、ヘンリー王子と秋篠宮が共に次男だという共通点だ。つまり、兄がいるため自分が即位する可能性が低いという意識が作用し、「ノブレス・オブリージュ」の自覚を弱くしてきたのかもしれない。

 秋篠宮が、自身と家族に対する「皇族自覚教育」を充分に施してきたかどうか、将来の「悠仁天皇」が確実なだけに心配されるところだ。

 さらにもう1つの共通点が見えてくる。

 英国では王位継承が目の前に迫っている。王室の大黒柱というべきエリザベス女王は95歳で、次はチャールズ皇太子と決まっているが、高齢な上(11月に73歳)、国民には不人気と言われる。
 それで巷の噂では、即位を辞退して長男のウィリアム王子に譲るのでないかという期待(?)も聞かれる。

 そういう前例が現実になると、日本でも、兄天皇と6歳しか違わない秋篠宮が、悠仁親王が成人したときに皇嗣(=皇太子)を譲って、自分は天皇にならないと宣言する可能性が出てこよう。

 秋篠宮は26日発表のコメントの中で、「皇室としては類例を見ない結婚」と認めている。
 この表現は、暗に国民と皇室に対して「私の責任だ」と表明し、そういう進退を示唆したとも受け取れるのである。

 そうであればなおさら、男子皇族を増やすための方策を急がなければならない。
 それがこの日英比較の結論である。(おおいそ・まさよし 2021/10/28)


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