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国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.272
   by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

令和3年11月29日

      日本に包囲破りを期待する中華帝国

 これほど露骨にまた日本を利用できる、と甘く見ているのかと感心せざるを得ない。中国の王毅外相(副首相級の国務委員)が電話会談で、新任の林芳正外相に訪中を要請した件である。
 
 下に9年前のコラムを再掲するが、格下と見ている相手を招待するのは、事実上の「命令」であることは古今東西に共通している。
 
 日本の新任外相がオレに挨拶に来ないのはけしからんぞ、と言っているのである。

 そう呼びつけておいて、最大の目的は日本天皇を北京オリンピックに招待すると言明し、もしダメでもお詫びに岸田首相の訪中を約束させることである。

 日本は天安門事件後の世界的な対中経済制裁を、天皇ご夫妻を差し出すことで、何らかの利益を得ようとした。恥知らずの制裁破りで、戦後最大の外交失敗になってしまった。

 いま来年2月の北京冬季五輪を「外交的ボイコット」する方向で、欧米諸国の首脳陣はまとまりつつある。すなわち選手団は参加するが、政府高官は訪中しないという制裁である。

 日本は発足したばかりの岸田首相と林外相が、宮沢首相の所属した「宏池会」の直系であり、マッカーサーの再軍備要求を拒否した吉田茂首相の流れを汲む経済重視、いわゆるハト派、親中国派だという見方が強い。

 中国にとっては、棚からぼた餅というほどの好機が訪れたわけだ。

(以下は 2012/09/27 コラムを部分再掲)

         中華帝国主義に屈して早20年

 日本から見ると、日中国交正常化40年のうち、ちょうど前半の20年は経済的にすべてを差し出し、後半の20年は自ら朝貢国に成り下がっていった。その結果が現在の惨状である。韓国もロシアも台湾も明らかに便乗し始めた。

 当コラムではほとんど既述のことだが、改めて振り返る良いタイミングが訪れた。以下3つのセットとして見ると分かりやすいだろう。

 第1セットは、ソ連消滅の直後1992年2月、中国は領海法を制定して日本の尖閣諸島を勝手に中国領としたが、宮沢喜一首相は知らん顔をして10月に天皇訪中を実現させた。
 
 これが日本の転落の始まりだった。もし日本が不法な領海法に抗議して天皇訪中計画を停止していたら、その後の日中関係は大きく変わっていただろう。
 
 天皇陛下の中国訪問は歴史上初めてで、中国(共産党)指導部は伝統的中華思想(華夷秩序)の復活に舵を切り替えていたところだったから、都合よく、日本が公式に朝貢してきたと受け止めた。

 知らぬは日本人のみだったが、6年後に国賓として来日した江沢民国家主席は、傲然として後ろ向きの歴史認識を押しつけ、宮中晩餐会でも非礼の限りを尽くし、自分が格上のように振る舞った。

 第2のセットは、わずか2年後、西暦2000年に日本政府が「両属」宣言を行い、その6年後には安倍晋三首相があたかも確認するように、ほぼ完全な「朝貢と冊封使受け入れ」をやってしまった流れだ。

 沖縄サミットに合わせて宮沢蔵相(元首相)は二千円札を発行し、そこに人物の肖像でなく、首里城の守禮門を刷り込んだ。国会で問題になり、「守礼とは中華に従うという意味ではないか」と与党議員が追求したが、宮沢氏はそのまま押し切った。

 琉球王国は明・清朝に朝貢し冊封を受けていたが、ほぼ徳川時代の始めから薩摩藩を通じて日本に実効支配され、命じられるままに江戸まで「通信使」を送っていた。これが「両属」である。

 その象徴である「守禮之邦」の4文字を紙幣に刷り込んだのだから、日本が世界に向かって「日本の琉球化」を宣言したことになった。客観的に見ても、米国に防衛を依存している状態(実効支配)で、外交の自由度を広げるため中国に朝貢するんだな、と受け取られても仕方がないのである。

 小泉政権を挟んで2006年9月、安倍首相は就任12日後に中国と韓国に飛び、米国への挨拶をネグった(訪米は7ヵ月後)。中国はトップではなく序列ナンバー3の温家宝首相が、韓日の順で来日(わざと軽視)し、国会演説を要求して中国にもTV中継させた。

 これがすなわち「安倍政権を認める」という冊封の儀式であった。前にも後にも、元首でない外国使節が国会で演説したことはない。しかし冊封使は皇帝の代理であるから、皇帝と同じに接遇するのが歴史的習わしだった。「守禮」のくにというのはそういう意味だ。

 おまけに温家宝は同格でないにもかかわらず、「天皇と皇族」を北京オリンピックに招待した。宗主国の「招待」は事実上、「来い」という命令である。

 あたまを抱えた安倍総理は、政権を投げ出すことによってこの命令をうやむやに葬ったと言える。ご本人が自覚しているかどうかは分からない。

 第3セットは、6月コラムで詳述した小沢朝貢団(2009年12月)と翌年9月に始まる尖閣対決である。

 繰り返される朝貢使節がついに6百人規模となり、143名もの民主党国会議員を含むとなれば、中国側が自己の「中華意識」に酔いしれるのも無理はない。加えて小沢団長は「人民解放軍の日本駐留隊長」ですと卑下してみせた。

 それなのに中国漁船の船長を逮捕したため、怒り狂って日本の法律の適用を放棄させた。それなのにまた野田首相が尖閣3島を「国有化」したので、日本の法律が適用されないのだということを、こんどこそ徹底的に教え込まなければならない。それが中華の決意だろう。
 これが小沢朝貢団とのセットになっていることが理解できよう。

 日本国民の多くは、朝貢を重ねていることを自覚していない。特に政治家や経済界の幹部は「中国詣で」が習い性になってしまっている。

 今月だけでも30人規模の「超党派国会議員団」、170人規模の「日中経済協会」訪中団などが出かける予定でいた。対等の国同士ならあり得ない状況だ。

 過去20年間、中華帝国主義を肥大化させたのは日本人自身だったと言えるだろう。そのスタートの天皇訪中は取り返しのつかない政治戦略の誤りだったが、元凶である中国領海法に対する異議申し立ては今でも政治的に可能である。
 
 失われた20年を取り返すのに何年かかるか。(再掲終わり)

 いま、上の再掲を見ると、日本は9年間で何を取り返せたのだろうか。
(おおいそ・まさよし 2021/11/29)


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