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平成19年4月29日

      江沢民、温家宝のキーワードは中華民族

 温家宝首相(正しくは国務院総理)の訪日は、中華の方からみれば明らかに冊封使だった。就任後直ちに朝貢儀礼に訪れた安倍首相に応え、中華はトップの代理として低官を送り、安倍政権を公認する儀式を行なってみせた。
 
 決して意地悪な見方をしているわけではない。2年前のコラム「日本の服属を確認したい新中華帝国」で解説したように、向こうがどのように受け止め、どのように行動するかという視点で考えることが必要だ。

 1992年の天皇皇后両陛下の訪中を明らかな契機として、中国は日本を対等の国として扱わない決定をした。今回の首脳外交でも、安倍総理は訪中して胡錦濤国家主席の訪日を要請し、その帰りに韓国を訪問した。
 中国はナンバースリーの温首相を、わざわざ韓国を先にして、付け足しの形をとって日本に送った。首相という低官なのに国会での演説を要求し、それを中国に生中継した。

 更に天皇陛下に拝謁した際、対等どころか天皇誕生日の際のご発言を「評価する」と一言で褒めた。そしていきなり「陛下と皇族のオリンピック訪中」を要請し、胡錦濤主席の訪日の前提条件であるかのように演出して見せた。

 この一連のふるまいは、中華の冊封使は低官でも天皇より上なのだということを、中国の内外に宣伝する目的だったと解釈しなくてはならない。

 ここでのキーワードは、温首相が国会演説の中で使った「中華民族」という概念である。
 
 この四字熟語は、元は辛亥革命で清帝国を倒した孫文が使ったものだと言われ、この四字を含む1935年の抗日歌が共産党政権の国歌になったり消されたりした。それを別の概念で復活させたのが江沢民である。

 中国古来の中華思想は、ただ一人の天子(皇帝)の徳を慕って、臣民も四囲の野蛮人も自分から臣従してくるものだいう支配論理であった。しかし「中華民族」というのは全く違うすり替えである。それも非常に恐ろしいすり替えである。

 伝統的中華思想ならば、最高の地位に座る支配者は一人しかいない。それが「中華民族」となると、中国人全員がすべて最高の地位にあるということになる。 自分を中国人だと意識する者すべて、すなわち大陸中国のみならず世界中に散らばる華僑、華人を含め十数億の中国系の人々が、自分は世界で最高の地位にある存在だと思いこみ舞い上がってしまった。

 2年前、北京、上海などで大規模な反日暴動が起き、それが世界中の華僑に伝染した背景にはこういうマインド・コントロールがあった。現在の中国人が「小日本」とか「日本鬼子」というような蔑称を普通に使うようになったのは、江沢民が復活させた「中華民族」が生んだ果実である。

 江主席は1997年、ハーバード大学でのスピーチで「中華民族偉大復興」をぶちあげ、翌年、早稲田大学でも「中華民族の息子と娘」という表現を使っている。
 居丈高な江訪日で険悪ムードが漂ったのを修復すべく、2000年に朱鎔基首相がやってきたが、その折りに出演したTBS番組でも「中華民族は、、」と自然に発言している。

 今回、温首相の国会演説は江主席の早稲田大学演説を下敷きにしているが、2点においてもっと強硬になっていると分析できるものだ。
 それは、「中華民族」を3回も使っていることと、「日本が発動した侵華戦争」という新しい表現を使っていることである。この「華」が単に日本で言うところの中国の意味でなく、中華民族という意味を込めてきたのだと理解したら、この表現の意味は恐ろしいことになる。

 江主席は同じ意味で日本の侵略を非難したが、このくだりでは主語が「日本軍国主義は、、」となっていた。今回の「日本が、、」という表現は中華「民族」に対応していて、すなわち劣等な日本民族が至高の中華民族に対してなんということをしたのかという懲戒口調になっていると判断できよう。
 むろん、これは世界の中国人に向けてのパフォーマンスである。知らぬは日本人ばかりなり、ということだろう。

 温首相の押しつけがましい説教演説に、議員諸氏は、冊封使自らの拍手にせかされて10回も拍手を繰り返した。小泉前首相はボイコットして出席しなかった。
 親中・非安倍の山崎拓・加藤紘一・中谷元の3人は早速お礼参りの朝貢に出かけた。この3議員は揃って防衛庁長官を務めたことがある(実に不思議)。

 保守論壇の西尾幹二氏は4月27日、産経新聞の「正論」欄を借りて、もうこれ以上ないというほどの激烈さで安倍首相に対する決別宣言を行なった。

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